陶芸家 中川智治インタビュー

「作っているその瞬間の自分も一つしか存在しない」

1年前のインタビューで彼が発したその言葉だ。
今こうして何かに感じ入る自分も一つしか存在しないのか?などと思いを巡らせる。
以前に話しを聴いた頃は予想だにしなかったコロナ禍の日常が長いこと続いている。そんな諸々の事情も踏まえ、今も尚、彼の創作に対する意欲や姿勢といったものに変化はないのか?

今回は新しいアトリエでのインタビューとなる
陶芸作家、中川智治さん。
千葉県市川市出身の41歳。
今から16年前、留学先のオーストラリアはアッシュフィールドにて、スウェーデンの陶芸家ベルント・フリーベリの作品に魅せられ、帰国後、近所の陶芸教室に通い始める。ここから中川さんの陶芸作家への道がスタートした。
現在は、植物の植木鉢中心に創作活動を続けており、多くのファンを魅了している。

・中川さん:「陶芸家をルーツに持つ家で育ったわけでもなく、身近に陶芸の環境があったわけでもない。好きで始めたものだから僕は人と違うものをやらないといけないと思っています」

一言一言を咀嚼して丁寧に話す中川さんの語り口調は以前と変わりなく、こちらに安心感を与えてくれる。

工房に入ると電気窯の熱で身体中に汗が滲んできた。
春夏秋冬の気候に関わらず、中川さんはこの熱気の中でコツコツと創作活動を続けている。
入口のすぐ左側には、制作中の作品が複数並んでいた。
「窯の温度と湿度を利用して錆びさせたいので、こうして寝かせておきます」(中川さん)

ーーー前回お話しを聴かせていただいたのが、20196月。ギャラリーLe Mani展示会を行う直前でした。

・中川さん:「実は・・・あの時のインタビュー終了後、頭痛がしまして・・・(笑)それだけじっくり考えて考えてお話しをしたんだと思います」


ーーーあの頃と比べてご自身の中に何か変化はありましたか?作品が焼き上がったときに醸し出す色をコントロールしたい、と仰っていました。そのあたりはいかがでしょう?

・中川さん:「無駄な失敗はしなくなりましたね。精度は上がってると思います。ただ、進歩しているという実感はなく、他の作家さんが作っているものが良く見えるんです。自分を他者と比較してしまうことからはどうしても解放されません。でも、自分に対しての危機感や課題が見えているというのは、すなわち常に自分に向き合って、前に進めていることでもあると思ってます。なので、こういう状態にあり続けることは、ある意味創作活動を行う以上は、必要なことなのかな?と」


現在は注文に追われ、作品を作っては梱包、発送する日々が続いているという。

中川さんが陶芸の世界で生きてきて15年になる。陶芸のみで今生活していけることが奇跡のようなものと彼はしみじみ語る。
一つ一つ積み重ねてきて、作品が評価されてきたことへの安心感がある反面、もう1ステージ上を目指したいという気持ちが常にあるようだ。

・中川さん:「こうして注文が途切れずに忙しい毎日が続いていることは本当にありがたいです。ちょっと過大評価されているかな?と思いながらも『一事が万事』の言葉を大切にしてきた結果だとも思えます」

1年前、中川さんを取材した時、大切にしている言葉は何か?という質問に対し、
彼はこう述べていた。

【過去の中川さん談】

「土を練ったり釉薬の調合に慎重になったり、一つの工程でもおろそかになると作品がダメになります。
もっと言えば、工房にゴミが落ちていたり仕事を始める環境が整っていないなど、一つのサボりや杜撰(ずさん)さが結果物の出来を狂わせるように感じます。
一つ一つが繋がって最終的に万に行き着く。一事が万事という言葉を常に頭に置いて仕事に取り組んでいます」

中川さんは、昨年の夏、出身地の市川市から工房のある我孫子へと住まいを移した。
工房からわずか数分のところに利根川水系の湖沼、手賀沼の豊かな自然がある。

・中川さん:「引っ越す前は、定期券で毎日始発に乗り我孫子まで通っていました。とにかく11秒でも無駄にせず、多く作品を作らなければ!という気持ちでいっぱいで、工房を閉めるのは大体21時ぐらい。帰宅するともうヘトヘトでした」

ーーー今はどうですか?長い通勤時間が無くなって何か変化はありましたか?コロナ禍の影響で在宅によるテレワークが増え、世のビジネスパーソンたちにとっても今まで当たり前だった朝晩の通勤ラッシュに変化が起きているようです。

・中川さん:「朝、手賀沼から聞こえる野鳥の声で目覚めることがあります。今までのように朝、忙しなく準備をして電車に駆け込むようなこともなくなり、気持ちに余裕が出来ました。仕事も夕方6時ぐらいには切り上げて、周辺をランニングしたりウォーキングしたり。時には妻と一緒に散歩したり。以前の方が明らかにオンの時間が長かったのですが、仕事の時間を短縮した今の方が集中して作品作りに取り組めています」

念のため中川さんに伺ってみると・・・
やはり、それまで我孫子に通っている頃は一度も手賀沼を訪れたことがなく、引越してきて初めて、その自然豊かな風景に触れたという。

「(工房の)近くにこんないいところがあったんだ?!と目からウロコでした」
はにかみながら、少々恥ずかしそうに語る中川さんに一途な職人気質を見た思いである。

ーーー9月に中川さんの地元、市川市で開催されるギャラリーLe Maniでの展示会について意気込みを聴かせてください。

・中川さん:「売れ筋の鉢の色や形状、ユーザさんの好みがこの一年でだいぶ変化しています。たった一年でこの業界に作品が溢れかえっている気がします。そういう状況を鑑みて、僕は今回新しいもの、人と違うものを持っていきたい」

ここ5年ほどの植物栽培の流行に乗り、躍進しているのがこの植木鉢の陶芸業界だ。
中川さん自身も鉢を使っての植物栽培を嗜むようになって2年ほど経つようだ。

・中川さん:「料理をしたことのない人が作った食器は使い難い、と言われます。機能的に使えることは大前提で、植物と組み合わせた時にどう収まるのか?鉢を作るだけではなく、自分で育ててみないと分からないこと、見えないことが多々あります」

中川さんの主戦場である植木鉢の市場は、現在香港、台湾、シンガポールなどいわゆるアジア地域で熱く盛り上がっているボリュームゾーンだという。

・中川さん:「国内に限らず、今はSNSを通じてユーザさんから日常的にフィードバックをいただける。これはとてもありがたいことです。『作品+植物』の購入後の姿がインターネットを通じて見ることができます。インスタグラムなどに写真をアップし、タグ付けしてくださるのは、僕に知らせようとしてくれているからだと思うので、その気持ちがとても嬉しいです」

陶芸の色彩を醸し出す上で重要な役割を担う釉薬。これは灰や薬を調合して陶器に塗ることで窯の熱や酸素量のバランスで化学反応を起こす。無限だが有限、組み合わせがたくさんあっても良い色を出すにはある一定のパターンがあるようだ。
現在、我孫子の工房では電気窯を使用しており、この設備の範囲で生み出せる色味や形状はほぼ見尽くしたと中川さんは語る。

・中川さん:「電気窯以外にも、穴窯、薪窯、灯油窯など陶器を焼き上げる上で幾つか手法があります。僕はいずれ自分の穴窯を作って、作品作りに取り組んでみたい。そうやって次のステージに少しずつ進んで行きたいです。今はそこに行くまでの準備期間です」

人から求められる作品を作り続けるには、自分自身の内面に問いかけ、もがき続けて変化を起こしていかなければならない。
陶芸は化学であり、失敗も成功も数値に基づいた根拠がある。

・中川さん:「極論を言えば、失敗からしか得るものは無いと思っています。成功したものは何も教えてくれない。完成してまずそこで一区切り。本音では、失敗したくないんですよ(笑)でも失敗しないと見えてこないことや気づけないことがたくさんある。しかもそこに数字的な理由をもってダメを突き付けられるから陶芸は面白い」

ここでふとプロ野球の名将野村克也監督が、生前、折に触れて用いていた文句が頭をよぎった。
『勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし』
江戸時代の剣の達人、松浦静山の剣術書『常静子剣談』からの引用である。

陶芸と剣術、双方相容れない世界であるにも関わらず、負け=失敗を科学的に分析する点に共通点を見出すことが出来る。
あらためて中川智治という陶芸作家の芯の強さと道を追求し続ける覚悟に舌を巻く。


小学生時代、先生に褒められた粘土の工作は、時を経て人の心を潤す植木鉢へと変貌を遂げた。

・中川さん:「どんな作家になりたい、どんな賞がほしい、そういう気持ちは一つも無いです。むしろどういう環境でこの先ずっと陶芸に携わっていきたいか、僕のテーマはこの点に尽きます」

陶芸作家、中川智治の飽くなき挑戦は止まることを知らない。

2020年7月手賀沼近くのアトリエにて。 

 文・インタビュー 雄市 写真・燈tomori編集部 

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