銅版画家 溝上幾久子


20240210_銅版画家_溝上幾久子さんインタビュー




2月初旬にしては暖かな陽の光を背に受けながら、JR横須賀線の北鎌倉駅を降りました。

閑静な佇まいと趣きのある建築物が立ち並ぶこの辺りからは、古都の存在を感じさせる空気が漂っています。

  駅からものの5分も歩かない線路沿いにそのアトリエはありました。

「どうぞ」

柔和な笑顔で迎えてくれた銅版画家の溝上幾久子さん。暖かく香り良いコーヒーとスパイシーなジンジャークッキーでもてなしてくれました。

(今回、溝上幾久子さんの運営される幾文堂プレスでお話しを伺いました。)



なぜ版画の道を選んだのか?溝上幾久子さんを魅了した銅版画とは】

 

「子育て中はかなりペースを落として。それでも完全にやめてしまわずに、少しずつでも続けて続けて今に至ります」(溝上幾久子さん。以降「  」内は溝上さんの談。)

 

1990年頃から本格的に創作活動を始め、以来、溝上さんのキャリアは30年を越すところまで到達しています。

 

———版画は、最終形の絵になるまでの制作工程がとても大変な印象を受けます。この表現方法を選んだ理由、または版画の魅力についておしえてください。

 

「元々、最初の頃は油絵を描いていたのです。ただ描きながらどうもしっくりこないというか合わないというか・・・そうしているうちに版画がある、と意識し始めました。版画はやらなきゃいけない工程がたくさんあります。描く行為の間に色んな要素が入ってくるので、ある面とても工芸的なんですね。ここを面倒と思うか?あるいは面白いと思うか?私自身は、この一つ一つの工程に魅力を感じ、楽しむことが出来ました」

 

幾つかある版画の技法で、現在のところは銅版画を中心に溝上さんは創作を行なっています。

 

「全てのプロセスをコントロールしたいと思う人には銅版画は大変だと思います。銅版を削るだけではなく、薬品を使って板を腐蝕させることもあるので、温湿度にも左右されます。だから同じことをやっても季節によって仕上がりが変化します。私の場合、コントロールを心がけているのは、描画の工程までで、後はその時々の仕上がりの結果に頼るというか、ある意味で偶然性、出たとこ勝負のような気持ちは常に持っています」

 

対象物が動物や人間だった場合、を描くのがとても難しいと溝上さんは言います。版の時点で良し悪しを判断出来ず、刷ってみないとそれが成功なのか失敗なのか結論が出せないようです。

 

「自分はこのつもりだったけど、違ったものが出来上がって、結果的にそれが良ければいいじゃない!それを一つの完成としよう。そういう気持ちで取り組んでいます」



言葉の表現にイメージをもらう】

 

———この世に存在しないものを描く時、または対象物をデフォルメする時など、溝上さんの頭の中ではどういう順序でその作品へのコンセプトを固めていくのでしょう?どこから着想を得てイメージを膨らませているのか、大変興味深いです。

 

「挿絵(*1)の場合、言葉の表現にイメージをもらうことが大半です。作家さんの文章から刺激を受けて引っ張られます」

 

溝上幾久子さんの挿絵といえば、ドイツ在住の芥川賞作家である多和田葉子(*2)さんとのコラボレーションが代表的です。

 

「多和田さんと初めてお仕事をさせていただいたのは、20年ほど前でしょうか?日経新聞でのエッセイの連載でした。もう完全に憧れの人でファンですので、多和田さんの文章に私の絵が入ることが素直に嬉しくて嬉しくて(笑)多和田さんからはあまり細かいご指摘をいただくことはなく、文章に対して私自身のビジョンを合わせやすいというのが特徴です」

 

筆者は、数ある多和田葉子さんの作品の中でも、特に『オオカミ県』という絵本に惹かれます。その根底にあるテーマは重く、『見て見ぬふりを続けると結局いつかは自らの首を絞めるぞ』、と諭すような卓越した比喩表現と洞察の鋭さが印象的です。ただそれを単純な文体でストレートに問題提起するのではなく、ある種おとぎ話に似たフィクションの世界を通して世に送り出す、この寓意的な表現がまさに作家多和田葉子さんの真骨頂だと思います。

 

その奇想天外なお話しに、溝上幾久子さんの幻想的でユーモラス溢れる銅版画の挿絵が加わると、より一層物語に説得力が増す気がします。

 

「私が挿絵のお仕事で一番気になるのは、文章を書かれた作家さんの想いも勿論ありますけど、それと同時に読んでいただく方々、読者の受け止め方です。自分が描いた挿絵が文章のイメージを変えてしまわないか?と気がかりな時もあります」


(オオカミ県の1部、刷り上がりを意識する大きな仕事量が感じられます。)

 

絵はちょっとできる特技。溝上さんの幼少の頃は】

 

———今振り返ってみてどんなお子さんでしたか?子どもの頃の絵を描くきっかけ、嬉しかったことがあればおしえてください。

 

「紙を与えられるのが嬉しい子どもでした(笑)紙がもらえると何時間でも絵を描いてましたね。そんな子どもだったので、学校で友達から『絵を描いて』というリクエストが度々あって、よっしゃ!!という感じで描いてました。絵を描けるのは自分の長所なんだな、と何となく思っていました」

 

溝上さんは千葉県我孫子市のご出身です。

幼少の頃はダンゴムシを探したり、鉄棒に明け暮れたり、図書館に入り浸ったり。

その中でも本を読むことは、自分自身の軸になっていたと言います。

 

「絵はちょっとできる特技、みたいな感じだったかも。メインではなかったですね。楽しいから描く、人が喜んでくれるから描くみたいな。それよりも本を読むことが自分の芯にあったと思います。花柄の表紙を描いて、自分で書いた物語を製本したこともありますよ。そんな風に作った何冊かの本も引越しで全部どこかへ行ってしまって・・・」

 

溝上さんの小学生の頃の体験を通して、現在、作品制作に取り組む考え方に影響を与えたとおぼしきエピソードを伺えました。

 

「小学3年の夏休みの宿題では、布で作ったライオンを提出しました。母が裁縫好きでしたので、使わない布切れをもらって、夏休み中に一生懸命作りました。でも不細工な作りになってしまって(笑)。ところが、そのライオンを先生に見せたら意外なことに、とても褒められたんです。先生が何て仰ってくれたかまで細かく覚えてないんですが、『これすごくイイ!!上手じゃないんだけど×・・・』その部分だけうっすら覚えてます。衝撃でした。下手なのにイイ!!って褒められる・・・。なんで?!って」

 

子どもの頃に大人から投げ掛けらる言葉は、良くも悪くも心に残るものです。

 この時の体験を後に振り返り、自分にとってのものづくりの教訓が詰まっていたのかも、と溝上さんは述懐します。

 

「上手にやろう、綺麗にまとめようとすると、どこからか『そうじゃないんじゃない?』という警告めいた声が聞こえてくるような気がして」

 

日常の制作活動に元気を与えてくれる音楽の力。ベートーベンはやっぱりすごい!】

 

作品制作は自宅がメインという溝上さん。

ここで愛用の道具を見せてくれました。

 

「版面にグランド(*3)を塗って膜を作り、ニードル(*4)で(グランドを)引っ掻き取るように描画していきます。エッチング(*5)という技術があり、薬品をかけて銅板を腐蝕させるのですが、その間は待っていることが多いので休憩に充てるなどしています」

 

作業の内容によってはリズム感がものを言う場面もあるとか。

 

「一時期、刷りを行う時は、必ずベートーベンを聴きながらやってました。ベートーベンの音楽は元気になる曲調が多いじゃないですか?刷る作業って肉体労働なんですよ。交響曲第九番を最初から聴きながら作業していて、気づくと第四楽章の頃はすこぶる快調になってます(笑)。あと、疲労困憊で動けない、やる気が出ないという時は、ラヴェルのボレロを聴いたりもします。螺旋(らせん)のように上がっていくあの感じが気持ちを高めていってくれますね。でもボレロ(演奏時間は約15分)もっと長いとありがたいんですけどね。そうすれば、もっともっと気持ちが続くから(笑)」



作家溝上幾久子さんの来し方行く末】

 

———作家活動を始めて30年以上が経過し、振り返ってみてご自身の気持ちに変化はありますか?

 

「私、最初はイラスト、デザインの仕事をしていました。その頃、周囲は作家志向の人が多くて、そういう人たちはどこか団体に属したり、作家という立ち位置を確立するために積極的に行動を起こしていました。私にはそうするがどこか息苦しくて。自分中心にというよりは何かをよけながら、迂回するように進んできた感じがします。そうこうしているうちに出会った挿絵のお仕事から自分の力を引き出していってもらい、今があるように思えるんです」

 

———客観的に見れば、挿絵の世界では溝上さんは一つの地位を確立されているように感じますし、特にこの10年ほどの間に携わってこられたお仕事は素晴らしいと思います。

 

「挿絵は、まず言葉の力(=文章)がないと出来ないです。画家として一つの世界を作り上げた人が挿絵をやるのと違って、私の場合は、まだ自分の中に何もない状態から色々集めて作ってきました。そうやって引き出してもらいながら今に至るので、正直、自分では心許ないところもあるんです」

 

———今後の目標や作家としてどうありたいか?思うところがあればおしえてください。

 

「やっぱり自分には宿題がいっぱいあるな・・・と思うのです。まず私家版(しかばん)(*6)でもよいので、絵本を作りたいです」

 

自ら文章を書き、そして挿絵を描いて絵本を完成させたいという溝上さん。

 

「オオカミ県の挿絵を全て描き上げるのにおおよそ2年ほどかかりました。それに加えて文章も、となるとかなり時間はかかってしまうと思うけれど・・・。それでも何年かかってもいいから自分で文章を書いて、挿絵も描くということはやってみたい。物語と絵を自分で作る。それがまずは私の中ではっきりしている宿題のような気がします」

 

「初めて挿絵のお仕事をいただいてから今に至るまで、時間が経ってもやっぱりさらっとこなすことは出来ないんですよね。自分が空っぽのところから色んな人に助けられながら、自分の中に集めて作ってきたから・・・。そうやって自分の絵が出来上がっていくのかな?」

 

「と言いつつ、案外蓋を開けてみたらまだまだ全然空っぽかも!」

 

インタビューの締め括りを和やかな笑いの渦に包み込む溝上さんから、ユーモアと周囲への心配りをあらためて感じます。

 

「ずっといつまでも創作を続ける。結果的にそうなるだろうな・・・」


目線を上げ、何か遠いところを見つめるるように、溝上さんはそう呟きました。




代表作『オオカミ県』のラストシーン。

オオカミがオオカミであり続けるために決意を述べるくだりを読みつつ、最後のページをめくると・・・。

何とも幻想的でユーモラスな銅版画の世界が物語を締め括ってくれます。

 

銅版画家溝上幾久子さんは、これからどんな作品を紡ぎ出していくのでしょうか?

もっともっとお話しを聴きたい気持ちを抑えながら、西日の差しかかる北鎌倉を後にしました。


---インタビュアー,ライティング,雄市----


                ※ 画像、文章等の無断転載を禁止します。




 

溝上さんの作品は

2024年開催gallerylemaniグループ展にて

ギャラリー所蔵作品として紹介致します。


ギャラリールマニ


「とりのうた」2024年6,22~29(24休み)


11:00~17:30

最終日11:00~16:00


 

【注釈】 出典:広辞苑、Wikipediaなど

 

*1. 挿絵:新聞、雑誌、書物などの紙面に挿し入れた、文章に関係のある絵。

 

*2. 多和田葉子:1960323-。日本の小説家、詩人。ドイツに住み、日本語・独語で小説を執筆。1993年、『犬婿入り』で芥川賞を受賞。絵本『オオカミ県』や朝日新聞連載の『白鶴亮翅(はっかくりょうし)』などの作品で、溝上幾久子さんが挿絵を担当した。

 

*3. グランド:銅版画の制作において、版面に塗布し防蝕剤として使用する液体。グランドを半面に塗布することで、描画しない部分を保護し、版面を腐蝕から守ることができる。

 

*4. ニードル:銅版に刻線を描画する際に用いる道具。先端が針状に尖っている金属の棒。

 

*5. エッチング:銅版が酸に溶ける性質を利用して凹部(くぼみ)を作り、この凹部にインクを詰めて、プレス機の加圧で版を刷る技法。

 

*6. 私家版(しかばん):個人が営利を目的としないで発行し、狭い範囲に配布する書物。私版。自家版。